不楽乎雑感
水曜日, 6月 20th, 2007中国仏教史を研究するために、先学の本を読み、自分も論文を書く。また、単に文献学的な関心ではなく、中国の聖人や先賢の教えを足がかりに最終的には「道」に融け込んでこれと一味になりたいと本気で考えているから、儒仏道三教の原典も読む。
中国仏教史を研究するために、先学の本を読み、自分も論文を書く。また、単に文献学的な関心ではなく、中国の聖人や先賢の教えを足がかりに最終的には「道」に融け込んでこれと一味になりたいと本気で考えているから、儒仏道三教の原典も読む。
日時:2007/5/16(木) 13:00-17:00
場所:蓮花寺佛教研究所
参加者:遠藤祐純先生、福田亮成先生
遠藤純一郎、遠藤祐介、小林崇仁、山本匠一郎、
高橋秀城、山野智恵
中国への仏教伝来にはいくつかの説が有るが、『三国志』魏志の裴松之の註に引用された『魏略』西戎伝の記事が初見とされている。
仏教は伝来当初より、国家事業としての性格が強かった。そもそも仏教の宗教空間である「寺」も、元々は役所の建物を言うものであり、日本にも継承される伝統的仏寺建立の様式は、中国の役所と同一の形を持っている。確かに廬山の慧遠などは『沙門不敬王者論』を著し、出家宗団を「方外之賓」、いわば非社会的・脱社会的存在としての位置づけを試みたが、このような原理原則的な議論は以後さほど盛り上がりを見せず、唐代あたりまでには、僧侶は「臣」と自称し、皇帝は彼らを「卿」と呼称していた。いわば、仏教は中国の封建社会に着実に組み込まれてゆき、本来の出家集団としての性格が中国で大きく変質したことを示唆している。