ハンブルグだより 文献学の方法と問題2

日本で、学術フロンティアの古写経アーカイブのプロジェクトに一年弱参加し、漢語写本の扱い方、研究方法などを多少、聞きかじりましたが、同じ写本を扱うにしても、漢語文献とサンスクリット文献では、多くの相違点があるように思います。

その相違の一つとして、まず、文献自体の文化的性質に起因する違いがあげられます。一例をあげると、日本の古写経の場合、転写元となるテキストの行数、字数に合わせて、テキストを再生産する場合が多く、その写本の由来を知る上で、行数、字数などが重要な情報源となっています。日本人の几帳面さがよく現れているといえますが、インドの場合、私が扱っている範囲でいえば、インド人がそのような几帳面さを発揮している例はまずありません。

ところで、中国では、宋代より版本文化が発達し、それとともに、校注学が発達してきました。これに対して、サンスクリット写本は、近代に再生産されたものも多く、インドにおいては、つい最近まで、写本文化が主流であったことを物語っています。インドにおいて版本文化が発達しなかった理由を考えると、やはり、階級制度に結びついた知識伝達のあり方という問題があるように思えます。版本文化は、知識のすそ野の拡大とともに発展していきます。逆に、知識が限定的に伝達される場においては、印刷技術は必要とされません。

かくして、インドには、膨大な量の写本が残されることになりました。「校訂」というテキスト確定の作業を経ずに再生産された写本の世界では、テキストは流動的な性質を持っています。そこに「校訂」という作業の困難さが生じてきます。

山野 智恵

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