小さいことはいいことだ

先日、日産の大型車、シーマが絶版となった。

バブル景気に涌いた日本。当時、3ナンバー専用ボディーのふれこみで登場した高級車が、不況にあえぐ日本には不似合いだったのかもしれない。あの頃、自動車はモデルチェンジのたびに、次第に車体が大きくなっていったものだった。車体の大きさがオーナーのステータスを雄弁に語るものだと信じていた。「大きいことはいいことだ」とは六〇年代のテレビCMのコピーだが、それは50円のチョコレートだけの話ではなかったのだ。我が国の価値観は長きに亙り、その延長線上に居続けた。

今や自動車も低燃費が美徳とされ、補助金の効果もあってか、ハイブリッド車をはじめとする小型車が自動車産業の牽引役になっている。これまでの大艦巨砲主義はすっかりなりをひそめ、その発想はぐるりと180度転換した。

この現象は果たして、単に不況に起因した消極的価値観というだけのことだろうか。考えてみれば、デジタル技術の席捲する昨今の一つの積極的価値観であるような気もする。携帯電話も30年ほど前には肩掛式の大上段なものだった。それが今や、手のひらサイズの携帯端末へと進化を遂げている。小型化、高機能化。今や、技術は密度の高さが要求されている。

人文科学に波及した効果としては、経典類のデータ化などがその一つに挙げられるだろう。我が研究所にも備えてあるが、四庫全書の電子化は、中国学を研究する者には大変に有為である。テキストの検索の利便性ということもあるが、なにより紙媒体からの開放は、驚異的なダウンサイジングを達成した。今やノートパソコンはネットブックという新しいジャンルを確立し、5万円も出せば閲覧に不便の無い機種が手に入る。

情報の公開、伝達の手段は、インターネットの登場により激変した。最近では更に、Apple社のiPadなどが更に起爆剤となりそうな予感であるが、紙媒体雑誌は次第に電子化の方向へシフトしつつある。紙媒体の出版には、どうしても莫大な初期投資を要する。その資金的問題を軽減するのが電子化の利点である。電子媒体だけでなく紙媒体の出版も、DTPの登場により、ずっと敷居が低くなっているのも事実だ。デジタル技術のダウンサイジング効果はデバイスのハード面だけでなく、それを活用する組織そのものへと波及している。

思えば、我が研究所の活動もデジタル技術の恩恵によるものだと言っても過言ではない。

先日も東京~ハンブルクのオンライン研究会を実施した。時差の存在はいかんともしがたいが、動画を中継しながらの研究会は通常の議論となんらかわりが無かった。一昔前なら、回線使用料だけで、尻込みするような技術だ。

ここまで技術的バックアップが得られるなら、残りは何だろう。我々の場合で言うなら、勿論、研究の質ということに収斂するはずだ。こればかりは、どうにも技術的に解決できることではない。裏を返せば、そこが人文科学の楽しみなのだ。

遠藤純一郎

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