蓮佛研連載コラム「〆切地蔵」第1回「駒場の〆切地蔵」 

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駒場の〆切地蔵

〆切。それは、モノを書くことに携わる人間が、常に直面せざるを得ない残酷な現実の別名である。そして、寿命という最終〆切に追われる全ての創作者にとってのやっかいな伴侶でもある。

先日、急な原稿依頼を受けて資料集めに都内を奔走していたところ、路上に祀られた「〆切地蔵」(駒場地蔵)なるお地蔵さんを見つけてハッとした。落語「ざんぎり地蔵」を彷彿させる、珍しい名前である。どうも、民俗学で言うところのサエノカミ的な存在であるらしい。すなわち、病気などの悪いものを、共同体の外でシャットアウトする為に置かれた像である。当然、原稿の〆切などとは本来、無縁。注連縄しめなわが聖域と外界との境界をあらわしているように、シメキリ地蔵もまた、境界に位置してそれを体現する存在だったものと思われる。

石地蔵は、それぞれ各地の信仰に基づいた性格付けを為されている。たとえば「とげぬき地蔵」、「縛られ地蔵」などは、その最たるものである。人間に代わって農作業をしてくれたり、怪我や病気を引き受けてくれたりする地蔵の説話は「身代わり地蔵」と呼ばれ、古くから日本各地に伝わる。各地に祀られた仏像には、それぞれの性格に応じた御利益があるのだが、いちど個別の像に名前が付くと、その名前の意味を読み変えて、新たな御利益が期待されることもある。

「〆切地蔵」の名を一見して、その本来的な御利益について考えるより早く、我が脳内には目前の〆切がチラついた。恐らく、このお地蔵さんを目にした多くの文筆業、編集業の方々も同様であろうと思い、携帯端末でブログなどを検索してみれば、まさしく想像通り。電脳時代の同業者たちもやはり、本来の御利益とは異なることを認識しつつ、しかしそれなりに切なる願いを駒場の〆切地蔵に託していたのであった。そこで、今回から連載を開始する本コラムも、このお地蔵さんにあやかったタイトルを付けさせて貰うことにした次第。(研究員・今井秀和)

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