蓮佛研(偽連載)コラム第六回「神仏の境界線」

当研究所の所在する蓮花寺の隣に、熊野神社がある。
寺と神社の間には塀が設えられており、その境界線が神仏を峻厳と区分しているかのようだ。この光景を当たり前に過ごしてきたためか、神仏分離を特別気にとめるでなく、仏教は寺、神道は神社と、両者の相違に寧ろ各々の存立する意義を受け止めてきたように思う。

この夏、伊勢を入り口に南紀熊野を経て奈良へ至る道を辿ってみたのであるが、そこでの状況は東京でのそれとは聊か相違していた。

神仏が近いのだ。

旅の初めからしてそうだった。

多気郡の丹生大師は山門に注連縄、本尊弘法大師の前に神鏡が祭られ、隣の丹生神社との境界も鳥居以外は見当たらなかった。
SDIM0370SDIM0373熊野は那智大社に到ると、拝殿前に立派な炉が据えられ、あたかも寺院のような佇まいに驚かされる。とは言え、ここは寺ではないのであるから、線香を手向けるはずもなく、香炉は不要のはずと、気になり近づいて見ると、期せず、「護摩炉」と書いてある。

「護摩炉」が有るなら、勿論「護摩木」も有る。仏教寺院と見紛うばかりだ。

ヒョットシタラ、

護摩行シテイルノカモシレナイ。

授与品を授けていた神官に尋ねてみると、名前を記入して、先ほどの炉で炊くセルフサービス方式とのようで、ほのかな期待はもろくも霧散することになった。
しかし、神はお見捨てにならなかった。
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お決まり通り、那智大社別宮飛瀧神社は那智滝を参拝したところで、またも気になる堂宇に出くわした。それは「祈願所」と呼ばれる二間間口の仏堂のような建物であった。遠目で中を伺うと、少しく様子がおかしい。中心に御神躰の滝を配しながら、不動明王と役小角が左右を固めておらえる。しかも、手前には神道護摩の炉がしっかりと備えられているではないか。

旧来の姿は、この一隅にひっそりと、しかし確実に留められていた。

次いで訪れた熊野本宮大社は一層ストレートであった。

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世界遺産の熊野は箱物といったハードのみならず、しっかりソフトも保存していたのだ。
自らの見識を恥じつつ、神仏の境界線、今一度じっくり再考しておかなくてはなるまい。

 

 

 

(研究員・遠藤純一郎)

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